【国鉄時刻表】1968年10月 函館駅 函館本線 JAPAN HAKODATE station; HAKODATE LINE time table 1968

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 【時刻表の紹介】
    1968年10月ダイヤ改正後
    よん・さん・とおダイヤ改正後です。
    全国各地で特急列車が大増発されました。
    それは北海道でも例外ではありませんでした。
    今では見ることができない、
    バリエーションに富んだ列車をお楽しみください。
    当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
    ↓チャンネル登録はこちら
    www.youtube.co....
    お借りしたBGM
    フリーBGM DOVA-SYNDROME
    Painfulness /作曲:ハモおた 様
    #国鉄 #鉄道 #昭和43年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #函館本線 #青函連絡船 #過去鉄

Комментарии • 117

  • @pananaq0810
    @pananaq0810 Год назад +18

    今の方が本数は段違いに多いのにも関わらず寂寥感があるのは長距離列車がほぼないからなんだろうな。よくて札幌か長万部。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      新幹線が札幌駅まで延伸されると、更に北海道の在来線の役目は小さくなってしまいますね。便利にはなりますが、旅情はどんどん失われていくのを感じてしまいます。

  • @nam1118712
    @nam1118712 Год назад +6

    時代は若干違うが、1985年頃函館に住んでいて、特急おおとりで網走まで行きました。確か1985年当時は11時35分発、網走着21時47分くらいだったと思います。キハ82系の最後と置き換わった後のキハ183系と2回乗りました。北海で札幌にも行ったなあ…。懐かしいです。素敵な動画ありがとうございます😊

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
      1985年であれば、まだ食堂車の営業も行っていた頃ですね。今から振り返ると大変貴重な乗車体験をしておられますね。

  • @user-nf7pe2sw9x
    @user-nf7pe2sw9x Год назад +11

    連絡船の到着時以外はほぼ1時間ごとに1本の列車が発着する非常に穏やかな駅ですね
    客レも長距離のものが多いですね 正に北海道の入口という感じです

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      連絡船の到着時にあわせて優等列車がまとめて発車していく構成に、当時の北海道輸送への力の入れようが伝わってきますね。

  • @seagreentaka
    @seagreentaka Год назад +13

    当時は石勝線が開業前ですので、稚内より根室のほうがはるかに遠いですね!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通りですね。現在よりも約40㎞遠回りをする必要がありますので、根室駅の遠さが際立ちますね。石勝線の偉大さがわかる時刻表だなと思います。

  • @torusato401
    @torusato401 23 часа назад

    上り急行ニセコ3号(上り偶数化前)は根室発8:30→滝川・小樽経由→函館着23:00過ぎでした。道内最長距離の列車だったと思います。下りは函館〜札幌は急行ニセコ、札幌〜釧路は急行狩勝、釧路〜根室は急行ノサップだったと記憶してます。

  • @ふぁびN
    @ふぁびN Год назад +7

    12:28各駅停車網走行き123列車の行先にも到着時刻にも衝撃です。
    さすが北海道・・・。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      北海道の広さを実感しますね。東京から普通列車を乗り継ぐと何日かかるのか恐ろしいです。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 4 месяца назад

      ​@@tomoyankun
      去年の夏に18切符とフェリー(青森↔函館)で札幌まで行きましたが1日半ぐらいでした。

  • @hanenariairportlimitedexp.1858
    @hanenariairportlimitedexp.1858 Год назад +4

    特急おおとりは国鉄時代の鉄道ファンさん(現 Hobby videos41さん)のチャンネルで乗車記録を見ました。札幌よりも先に乗り換え無しで行けた時代に旅をしたかったです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      ご紹介があったので早速動画を拝見いたしました。
      大変貴重な資料で、ずっと見てしまいました。ご紹介ありがとうございました。

  • @user-uv3mp7nq2m
    @user-uv3mp7nq2m Год назад +3

    生まれる2年前の故郷の時刻表ですが、特急北海がいないくらいで懐かしさを感じます。
    江差線・松前線を入れると、もう少しだけ賑やかになりますね。
    しかし、ただの田舎駅だった渡島大野駅が、新幹線を含めた全列車が停車するようになるなんて思わなかったな~。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      江差線・松前線は急行も3本走っていて、普通列車と合わせて1日22本となかなかにぎやかですね。
      仰る通り、渡島大野駅は風景ががらりと変わっていますね。以前の姿からは全く想像できないです。

  • @nori-tabi
    @nori-tabi Год назад +5

    特急北斗は一時期、函館・札幌間3時間を切っていたと思いますが、現在はむしろこの時代とあまり変わらないですね。函館から札幌を超えて走る(普通も含む)長距離列車には驚きます。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      食堂車もついていますし、下手をすれば現在よりも快適な部分があるかもしれませんね。
      札幌を越えて走る列車については、他の方も仰っていましたが、北海道の玄関口が「函館」であったことを表していますね。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 4 месяца назад +1

      事故続発で減速を余儀なくされましたね、思うに在来線最速が気動車だった異常な時代でした。

  • @user-qh3sm2ey5g
    @user-qh3sm2ey5g Год назад +1

    乗り鉄となって北海道へ行ったのは10年ちょっと前、昼間の函館駅には白鳥と北斗位しか長い編成の列車が止まらなかったことしか知らないから、この時代の長距離列車の編成が並んだところは壮観だったのでしょう。
    現代では函館から釧路網走稚内まで行く列車を走らせても、それだけ乗るお客は乗り鉄以外いないだろうから寂しさもあり仕方なさもありですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      弓型の長いホームが並ぶ函館駅は、まさしくターミナル駅ですね。長編成の列車が並ぶ姿を是非この目に焼き付けたかったです。
      飛行機で千歳空港に降り立ち、札幌中心に移動する人が多いでしょうから、寂しいですが仕方のない事なのでしょうね。

  • @SAKUSAKU226
    @SAKUSAKU226 11 дней назад

    0608発121列車が1980年代もほぼそのままで走っていたのが凄い
    ボクも1985/08にこの列車で札幌へ行ったのだ。 当時は札幌行きだったが。

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +8

    大阪~青森の「白鳥」か上野~青森の「はつかり」か「みちのく」を乗って青函連絡船を経て函館から「おおぞら」を乗って釧路まで行った人はかなりの通で猛者だと思う

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +5

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      西鹿児島から急行「高千穂」に乗車し、大阪で「白鳥」に乗り換えると、まさしく日本縦断ができてしまいますね。

    • @user-zr1pz3pd9i
      @user-zr1pz3pd9i Год назад +6

      1960年代は航空機が大衆化する前なので、当時は東京〜釧路、網走などはそのような乗り継ぎが一般的だったようです。

    • @mogeru1
      @mogeru1 Год назад +4

      何度も乗りました
      青森が近づくと車掌さんが連絡船の乗船名簿作製のため廻ってきたり、白鳥やはつかりが大幅遅延しても連絡船やおおぞらが待っててくれたり、なつかしいなあ。

  • @mogeru1
    @mogeru1 Год назад +1

    始発のおおぞら(釧路行き)は青函連絡船を経由して、上野発はつかり及び大阪発白鳥からの乗り継ぎでしたね。

  • @muchan9999
    @muchan9999 Год назад +1

    続けてコメントします。
    今度は逆バージョンでこの11時間40分発の急行宗谷稚内行きって
    当時としては結構速かったのですね。
    昨年新函館北斗13時50分発の特急に乗り札幌旭川でまた特急に乗り換えて
    稚内着23時47分着でした。
    スタートの時間の違いや乗り継ぎ時間を考慮しても早くて
    これ乗ってみたかったと思います。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      新幹線→在来線特急の行程はなかなか大変だったでしょうね。
      当時の急行宗谷は現在でも十分通用する速さですよね。一度乗ってみたいですね。

  • @Geojp-ub5qe
    @Geojp-ub5qe Год назад +3

    初めて,北海道を訪れたのは1970年12月,当地から白鳥で青森まで,00:30の青函連絡船(Discover Japanのスタンプを確認すると大雪丸)。06:08発の121レで上目名(11:37)へ,上りニセコ1号(104レ)や下りニセコ3号(103レ,C62の重連)を撮影するために訪れました。そのあと道内を2週間ほど,年が明けてから戻りました。76年までに7回ほど国鉄を利用し訪れました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時と近い時期の時刻表を見ながら、当時の乗り継ぎを追いかけてみました。C62の重連は実際で見ると更に迫力があったでしょうね。国鉄での北海道巡りは大変良い思い出でしょうね。うらやましい限りです。
      貴重な思い出を聴かせていただきありがとうございました。

    • @クモハ165
      @クモハ165 Год назад

      現役のC62の重連は見たかったですな。まれに前補機がD51だったこともあったようですが。(・ε・` )残念!

  • @314ax
    @314ax Год назад +1

    初っ端から優等列車三連発に驚きました。往時は早朝から乗り継ぎ客で活気があったんでしょうね。
    今のようにAsahikawaになるのは20年後のことで、当時はまだ濁音のAsahigawaだったそうですよ。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      函館駅は北海道の玄関口として活気があったことが想像できますね。
      当時は「ASAHIGAWA」と呼ばれていたことは皆様からご指摘いただき始めて知りました。次回以降は、動画内でも「ASAHIGAWA」表記に致します。大変勉強になりました。ご指摘ありがとうございました。

  • @hittermad9429
    @hittermad9429 Год назад +1

    つい最近函館にいったけど、大きなターミナル駅だったんだろうなっていう雰囲気が確かにあった。
    これを見ると納得。というか夜通し走ってる普通列車ってのもあったのね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      緩やかな曲線を描く長いホームは、大きなターミナル駅であったことを示していますね。
      荷物輸送の役割も担っていたようですが、夜行の普通列車の存在は面白いですね。

  • @masahatsu8920
    @masahatsu8920 Год назад +3

    いきなり6時06分に普通旭川行が13時間のロングラン。今は有り得ないがロマンあるなあ。
    急行宗谷、普通夜行の網走行もなかなかエグい。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      この当時は、日本各地で始発列車の行き先が驚くような遠いところにあることが多いですね。実際に見たり乗ったりしてみたかったです。

    • @SAKUSAKU226
      @SAKUSAKU226 11 дней назад

      @@tomoyankun この列車、1985/08でも函館06:20→札幌15:23着で121列車のママ走っており、ボクは全区間乗っています。
      その当時でスハ45系の旧型客車3両で走ってました。

  • @来日ピスタチオ
    @来日ピスタチオ Год назад +3

    森とか大沼行きみたいな短距離列車もあったんですね
    少し意外でした

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      ほぼすべての普通列車が札幌ゆきでも違和感がないくらいのイメージを持っていますので、意外ですよね。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      アペンタロルなさん
      短距離の普通は支線向けの車両(キハ22?)の始発回送を兼ねていたのでは?客車普通は、SL牽引だったのだろうか?

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +4

    昭和の北海道の交通の玄関口は函館だった
    平成以降(正確には青函トンネル開通後)は札幌中心に交通網が張り巡っている
    現在は函館まで新幹線が運行している

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通りで、函館駅から北海道各地に優等列車が走っており、まさしく玄関口と言えます。今後、新幹線の札幌延伸も控え、北海道の街がどのように変化していくのか楽しみです。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 4 месяца назад

      札幌中心ダイヤはトンネル以前の千歳空港(旧、現南千歳)乗り入れからでは?

  • @user-yz3mb7tm4d
    @user-yz3mb7tm4d Год назад +1

    かつては青函連絡船を降り北海道各地へ向かう交通の要所だったのですね。おおぞら、宗谷、すずらんが発着し、廃止された、おおとりとニセコもあり懐かしい限りです。ただ、千歳空港駅(現南千歳駅)が開業してから民営化後になると、札幌&新千歳空港中心ダイヤになりましたね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      北海道の玄関口として昼夜問わず大変な賑わいであっただろうなと、時刻表を読んでいるだけでも想像できますよね。徐々に人口が札幌へと一極集中し、航空輸送のシェアも拡大したこともあって、仰るようなダイヤに変わっていったのかなと思います。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 4 месяца назад

      すずらん=ライラックの分割で生まれた特急も利用者激減で存亡の危機ですね。

  • @user-vl7qn4gc3q
    @user-vl7qn4gc3q Год назад +1

    始発の優等列車が本州→連絡船接続の時刻なのがよく分かります
    今だと驚くような長距離の普通列車が運行されてた時代

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の時刻表を読んでいると、青函連絡船も宇高連絡船も、列車との接続はしっかりと考慮されていたことがわかります。
      多くの人たちが、連絡船や長距離の普通列車で移動していたのだろうなと想像できますね。

  • @seijiyamaguchi5415
    @seijiyamaguchi5415 Год назад +2

    現在では札幌中心のダイヤ体系ですけど青函連絡船全盛期の頃は函館中心のダイヤ体系で函館〜稚内、函館〜網走とか函館〜釧路など現在では考えられないですね?

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      現在は札幌中心に変わってしまいましたので、この頃のような「函館中心」のダイヤは信じられないですね。

  • @saikyuko1
    @saikyuko1 Год назад

    札幌から急行石北に化ける123レがいるかと思えば、421レは律儀に普通のまま釧路まで行ったり…普通列車だけでも色々な列車がいましたね。

  • @AT-bc8dp
    @AT-bc8dp Год назад +2

    函館発旭川行121レは、長距離鈍行として有名でしたが、えっ!網走行⁈ 到着は翌朝‼︎ 123レ驚きました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      いかに北海道が広いかを実感できる列車ですね。時刻表で初めてその列車をみつけた時には目を疑いました。

    • @SAKUSAKU226
      @SAKUSAKU226 11 дней назад

      この列車 1980年代後半まで札幌行きと短縮はされましたが、スハ45系旧型客車で走ってました。

  • @TSUYOS185
    @TSUYOS185 Год назад +3

    特急のおおとり号の出発後1時間とたたずに網走行きの超ロングランの普通列車が走っていたのですね。これは驚きです。発車はお昼、そしてしかも到着するのは次の日の朝8時。
    札幌からの夜行利用がメインで、函館から乗り通す人はいなかったものと思いますが、荷物輸送など大事なものがあったのでしょう。
    北海道の広さとロマンを感じます。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      今回掲載していませんが、荷物列車も5時37分と23時38分発がありました。いずれも札幌駅が終着だったようです。
      広大な北海道に荷物を届けるという大切な役割を鉄道が担っていたと思うと、嬉しいですね。

    • @user-xd5cp8zp9k
      @user-xd5cp8zp9k Год назад +1

      123列車は、札幌駅で寝台車・1等車を連結して、急行石北に列車番号517列車デスね。

  • @user-nm5yn6xb7h
    @user-nm5yn6xb7h Год назад

    青函連絡船で北海道に到着し、そこから北海道の各所に電車が走っていった、当時の函館駅はまさに北海道の玄関だったわけですね。
    やがて青函トンネルが完成し、北海道新幹線が開業、今は大きな函館駅のターミナルが寂しくなりました。

  • @akg6127
    @akg6127 Год назад +4

    青函連絡船乗り継ぎ、アツい!!!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      見事な乗り継ぎの良さで、国鉄のダイヤ作成者の並々ならぬ工夫が伝わってきますね。

  • @user-rb8kd5cr2z
    @user-rb8kd5cr2z 4 месяца назад

    スゲー
    普通で旭川行きとかあったんですね!?

  • @hiryos3325
    @hiryos3325 Год назад +1

    釧路行きや網走行きの普通列車は、旅客輸送というよりは荷物輸送が主目的の列車なのでしょうね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時は日本中で荷物輸送のために様々な列車が走っていましたね。

  • @hirosimcard
    @hirosimcard Год назад +1

    少々自慢になりますが母の実家が函館で
    幼少期網走周辺に住んでいたので(おおとり)は何度も乗車しました。
    食堂車での食事も楽しみでした、
    その後札幌に引越し183系おおぞら乗った時は感動しました。
    でもあの事件以来北海道の特急は何かつまらないですね!

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      やはり食堂車での食事は特別なものとして楽しみだったのですね。大変素敵なご経験ですね。
      良くも悪くも先進的なイメージの北海道でしたが、安全性と維持費用などが重視されるようになり、そのイメージは薄れてしまいましたね。

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.2300 8 месяцев назад

    江差線の時刻も一緒に入れた方がよかったかな?
    いずれにしても青函連絡船が発着していた時間帯だけ賑わっていたような感じでした...

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o Год назад +2

    やはり、早朝の特急おおぞら4時40分と特急北海(山線経由)4時45分がゴールデンですね。青函連絡船2本、東北本線経由はつかりと、日本海縦貫線経由白鳥の2本の乗客を乗り継がせますから。
    普通も12時28分発の網走行とか、網走着が翌日の7時58分。
    23時52分発山線経由の釧路行、翌日の19時12分着、驚きです。この距離だと、東京から岡山の手前くらいかな。北海道は広い。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通り、4時40分と4時45分の特急の連続発車が一番力を入れていたところであるのがよくわかりますね。北海道の雄大な景色が日の出とともに浮き上がってくるのを一度見てみたかったです。
      長距離鈍行は途中で長時間停車があることを差し引いても、走り抜ける距離に驚きです。本当に北海道は広いですよね。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +1

      網走行きの普通列車の件につきましては私も別でコメントさせていただきました。
      釧路行きも驚きですね。この列車の流れを汲む札幌までなら昭和61年まで残っていました。
      その後平成2年の夏に快速のミッドナイト号に乗って函館から札幌に行ったことがあります。カーペットカーでした。床下からエンジン音が伝わるものの横になれたのが嬉しいものでした。苫小牧を過ぎて早朝の勇払原野が本当にきれいに見えました。
      このミッドナイト号の件で知っている人がいたら教えて頂けると幸いなことが一つございます。
      わたしの知人が同じ頃の夏休みにミッドナイト号の指定席に乗り、苫小牧で日高本線に乗り換えたとのこと。本当にそんなことが出来たのでしょうか?
      当時は苫小牧では自由席のみ開放で指定席からの降車はダメだった気がするのですが、、

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ディーゼルのカーペットカーはかなり大きなエンジン音を感じたでしょうね。
      ミッドナイト号の件、自由席のみ開放ということがあるのですね。大変面白いですね。是非詳細な情報を聞いてみたいです。

    • @akiosekiguchi1947
      @akiosekiguchi1947 Год назад

      @@TSUYOS185 平成6年夏に函館から快速「ミッドナイト号」を利用しました。指定券が取れず、止む無く自由席に乗りましたが、
      増結車両のキハ40(だったかな?)の固定ボックスシートで一睡もできませんでした。私は苫小牧で下車して室蘭本線に乗り
      換えたのですが、指定席車両は降車できないとは聞いたことがありませんし、時刻表にもそんな記載はなかったと思います。
      当時のミッドナイトは繁忙期以外、函館~札幌間で一切客扱いをしなかったので、それと混同されているのではありませんか?

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад

      @@akiosekiguchi1947 さま
      晩年はともかくキハ56だった頃は自由席を連結したときでもカーペットカーとドリームカーの指定席は函館~札幌の相互間しか発売できない旨時刻表に記載されていました。おそらく指定席の部分はドアを開けず、通路も通れないようにしたのかなと思います。森駅についたときに目が覚めましたが、指定席のドアは開きませんでした。
      なので友人からその話を聞いて驚いたほどです。

  • @GO-lo7jt
    @GO-lo7jt Год назад +2

    普通網走行きに萌えました

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      現在の常識では考えられない行き先をみると、すごくうれしくなりますね。

  • @alooga555
    @alooga555 Год назад +1

    あの当時、年末に首都圏から北海道へ帰省された人はリスペクトします。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      指定席券を購入するにも行列に並んで大変だったそうですね。混雑する車内を長い時間かけて帰省する、本当に大変だったでしょうね。

  • @superyoshio7
    @superyoshio7 Год назад +2

    1968年当時、旭川は「ASAHIGAWA」だったので、そこはこだわってほしかったですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      ご指摘いただいた通りです。
      そこまで調べきれておらず、申し訳ありませんでした。
      駅名や読み方が変わることが「旭川」だけでなく、日本各地でここまで多くあることに驚いています。
      ご指摘ありがとうございました。

  • @kabo1735
    @kabo1735 Год назад +1

    釧路行きとか稚内行きとか今やれば鉄オタに大人気になりそう。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      話題になり、大人気で大変混雑しているでしょうね。

  • @kochihae8673
    @kochihae8673 Год назад +2

    急行宗谷 稚内行きのインパクト

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      リバイバル運転を是非希望したいですね。

  • @user-fi5xb5vm5u
    @user-fi5xb5vm5u Год назад +2

    大沼行きが少なすぎた。バスも走っていたのかもしれないが需要がなかったんだろうか?

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時を知る資料がないのですが、意外と需要は少なかったのかもしれませんね。

  • @mafiasandayo
    @mafiasandayo Год назад +2

    6時8分発「普通」旭川行きって狂気の沙汰ぢな

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      直角のボックスシートに座って「普通」で旭川まで向かう。想像しただけでもお尻が痛くなりそうですが、一度味わってみたいなと思ってしまいますね。

    • @SAKUSAKU226
      @SAKUSAKU226 11 дней назад

      @@tomoyankun 1985年では結構青春18きっぷで乗れた列車です(上野を6時半過ぎに出ると青森22時台なので、0時の青函連絡船に乗れたのです)
      この列車で僕も札幌へ行きました。 当時でスハ45系客車3両+荷物車2両でした。 尚荷物車の1両は敦賀客貨車区の車両でした。(もう1両は隅田川)

  • @anges3438
    @anges3438 Год назад +2

    さすがに、根室行きは無いなあ 💦

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      私も「根室行きがあるのでは?」と期待して探していましたが、さすがになかったので少し残念でした。

  • @user-xb4qo6my5j
    @user-xb4qo6my5j Год назад

    「みちのく」ないね

  • @zolt55
    @zolt55 Год назад +1

    なになになに函館-滝川-釧路の普通列車って何

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      石勝線開通前とはいえ、今では考えられない普通列車ですよね。

  • @lawson4675
    @lawson4675 Год назад +1

    稚内行きの普通列車があれば完璧だったな😂網走、釧路行きの普通列車はあっていずれも日付変わって到着って

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      ここまで長距離の普通列車が活躍していると、稚内行きの普通列車も設定されていても驚かないですよね。

  • @user-cx6id5re4o
    @user-cx6id5re4o Год назад +4

    おそろしいことが判明しました。
    鐡道だけで(東京から)札幌に朝9時前に着くためには・・・
    この当時より早く出発しないといけないのです!
    函館開業前は定時退勤後に出発しても余裕で間に合ったのですが
    日本の鉄道は2010年を境に退化しているっていうのは本当のようですね

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +3

      新幹線が青函トンネルを通る前は急行のはまなす号がありましたからね。今でしたら東京14時20分発のはやぶさ27号→北斗21号で前の日のうちに着くしかなくなりました。
      ただ、この頃でさえ東京~札幌のシェアは飛行機の方が優勢だったとのこと。運賃が高くともアクセスを合わせても4時間で札幌まで行けるのは便利すぎ。
      戦後20数年、高度成長の波に乗り交通体系が大きく変わったことを物語っています。

    • @user-cx6id5re4o
      @user-cx6id5re4o Год назад +2

      @@TSUYOS185 当時は時間を買うなた飛行機で学生の貧乏旅行は周遊券で、しかも周遊券は現地の宿付き(合計6往復の夜行列車網)でしたね。日数が足りなくなるので、往路は安孫子から十和田(もっと体力ある人は臨時運行の磐梯を大宮からつかって昼の東北線を下っていき、函館から夜行すずらん)というのが定石だったようです。
      今では、貧乏旅行はLCC、18切符で行くのは節約旅行ではなくて、ただの物好きになってしまいましたw

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +2

      @@user-cx6id5re4o さま
      北海道からの帰りは周遊券の日数ギリギリまで使い、帰りは途中下車はダメでも継続乗車で期限の日に北海道を出て東北本線や常磐線の列車を乗り継いだというエピソードも。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      退化しているお話、現在の時刻表と並べてみていると確かにその通りで大変驚きました。夜行列車が廃止となったことが大きいのでしょうね。
      また、当時から飛行機のシェアが優勢であったことにも大変驚きました。

    • @user-cx6id5re4o
      @user-cx6id5re4o Год назад +2

      @@TSUYOS185 帰りは急行宗谷が定番だったようですね。すずらん、八甲田と乗り継ぎ列車指定受けて、途中下車(特別下車)できたみたいですし。22日目のお昼過ぎに上野着です。